徒然若草

心にうつることを、できるだけ言葉にしたい。

宿題

金曜日と言えば

宿題が少し多くなる日だ。

 

今日も児童の宿題を見ていたが

たまにある『悪問』があり、児童も首をひねっていた。

 

『悪問』はこういうことを問いたいから、こう答えるべきなのだろうという予測をたてなければこたえられない問題だ。

 

答えを導き出すことができないわけではないが、問題を読んだだけでは答えを出しにくい。

 

よまなければいけないのは、出題者の意図である。そんなことを小学生低学年にさせるのは酷である。

 

『悪問』がいけないわけではない。

答えが複数あったり、でなかったりすることはざらにある。しかし、こと宿題において言えば、授業で習ったことを定着させる問い方がいい。

 

宿題プリントの問題の『質』にまで気を遣えというのもなかなか酷だ。だから、私は先生にはなれない。